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子苑第二幼稚園について

子苑の歴史

創立のころ
新時代の民主教育の理想を心にいだいて(終戦~昭和43年)
 戦後まもなく岐阜県は岐阜県各務原市那加雄飛ヶ丘町にあった県厚生寮の一部を使用し、子苑保育園(子苑会)を開設することになりました。
当時厚生寮は戦災で家をなくしたり、戦地から引き揚げてきた人たちの住まいとなっていました。岐阜県庁に勤務する三輪美朗、ササ子夫妻にその任を任されることになりました。

厚生寮時代の卒園記念写真
手前右端が三輪ササ子園長

厚生寮時代の運動会

天皇陛下のお励まし
(昭和21年10月)
 昭和21年から昭和天皇の全国御幸があり、岐阜県には10月24日から26日にかけてご訪問され、被災したり、戦地から引き揚げてきた人たちをご激励するため県厚生寮に立ち寄られました。昭和天皇はお労りとお励ましの温かいお言葉を園児と園長にかけられました。

学校法人 那加学園発足
教育環境の一層の充実をめざして(昭和43年)
 昭和43年三輪ササ子園長高齢のため引退。後を小島保氏が子苑の存続を引き受け、蘇原花園町の用地を取得して子苑の学校法人化を図り、子苑保育園の全園児を受け入れ、那加学園子苑幼稚園として開設しました。

子苑幼稚園創立当時の全景

子苑幼稚園開園の日に
(左端:小島保理事長・中央:三輪ササ子園長)

第二幼稚園の創立
(昭和48年~)
 子苑幼稚園の園児も500人を超える状況の中で、昭和48年子苑第二幼稚園を設立し、市内東部の園児が移籍し総勢140人の園児を迎えてスタートしました。
 昭和53年、清水園長から野島園長に引き継がれ、現在の子苑の教育の基礎が築かれていきました。

第二幼稚園創立当時の園舎全景

シオンの名前の由来

聖書の「シオン」と「シオン」の花
  • 初代三輪ササ子園長はクリスチャンでしたので聖書にある「シオン」という名前をとって名付けられたのではないかと思います。
  • 野生の草花に「シオン」という花があり、その可憐さとたくましい成長力は、子苑幼稚園のイメージにぴったりです。子どもたちが野原にたくましく育つ花のように楽しく集い戯れ遊ぶようにとの願いが込められています。
子苑のマーク
昭和43年頃、初代小島理事長が考案しました。「子」の象形文字を図案化し、円の中央に配置し、子どもたちが元気に苑の中で楽しく遊んでいる様子を外側の円で表しています。シオンの花の色にちなみ「えんじ色」でまとめています。
子どもの子は「子(ね=ねずみ)」に通じ、繁栄(繁殖)の意味をもっています。

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